Story中島 侑子 ストーリー

将来のことが不安で怖くて、答えの出ない問いがひたすら頭の中でぐるぐるまわっていました。居てもたってもいられず、入院中のベッドの上で布団をかぶって号泣しました。今振り返ると微笑ましくもありますが、出産というものは女性にとってそれほどに大きなことなのです。

不安を全て涙で出し切った私は、すっきりして決意しました。
「起業しよう!誰かから雇われるという働き方以外に、自由に生きられる選択肢を自分で作ろう!」と。

そこからは本当に必死でした。
それまで、ビジネスの勉強をしたことはまったくなかったので「起業といえば会社を設立すること?」という考えしか頭になく、何をどうしたらいいのかさっぱりわかりませんでしたが、必死に「起業する方法」などを検索して、見つけたのが「ベンチャーコンテスト」でした。 「起業プランを発表して、グランプリや準グランプリをとると 企業とのマッチングや、内容次第では資金援助される可能性がある」というもの。

一次審査の締め切りが、10日後。私はトイレに行くのも一苦労するくらい、手術箇所が痛くてあまり動けませんでしたし、仕事もドクターストップがかかっていたので、時間だけはたっぷりありました。

「よし!やるぞ!」 ゼロから必死に考えて、入院中のベッドの上で生まれて初めて「事業計画書」を書きました。「自分には一体何ができるのか?」という課題を実際に文字として書き起こしたはじめての経験でした。
結局、私のライフワークでもある「医療」と「旅」を掛け合わせ、「旅行会社、病院、参加者、地域の宿や観光地が一丸となる地方創生×バリアフリーツアー」を提案しました。
その結果一次書類審査を通過し、二次審査では登壇して審査員や視聴者、企業、銀行の方々の前でプレゼンテーションをし、グランプリとオーディエンス賞2冠をいただきました。

グランプリをとったら、メディアにも掲載されて、協力したいと言ってくれる旅行会社も現れて、どんどん話が進んでいくに違いない!」そう思っていたのですが、現実は甘くありませんでした。
グランプリをいただいた当初こそ、旅行会社へ積極的に連絡をし、協力してくれそうな宿やホテルに話をしに行き、県の観光課の方々にプレゼンをするなどしていましたが、話は思うように進まず、私の勢いもそう長く続きませんでした。

起業までの道のりはまた振出しに戻り、私は途方にくれました。 そんな時に、インターネットで発信をしながら「個人」でビジネスをしている人たちの存在を知りました。
無料の媒体を使って元手をほとんどかけずに「発信」をすることで、認知を広げ、自分が持っているサービスやお店などにつなげるという方法です。
目から鱗が落ちるような感覚でした。
私が長年やっていた「発信」を活用して起業できるかも?
確かに、「発信」の威力はよくわかっていました。
私自身が「発信」で人生を変えた一人だったからです。
なのでとても自然に、すとんと腹落ちしました。
よし!やってみよう!!
私はいろんな人のブログを読み、見よう見まねで「起業のための」ブログを始めました。

でも、今まで私が書いていた「旅」ブログ、「日常」ブログとは書き方が違いました。手探りの独学で時間だけが過ぎていくのがもったいなかったので、商工会議所の起業塾に2つ、県がやっている起業塾に1つ、そして臨月でオンライン起業塾に入りました。 出産を間近に控え、産後暫く動けなるかもしれないという危機感が私に火をつけました。

救急救命医の仕事の合間に必死に起業の勉強をし、仕事後に車で往復2時間かけて起業塾に通いました。すでにだいぶお腹が大きかった私を見て、講師の先生も参加者の方々も全員驚いていました。
臨月で産休に突入してからは、家にこもってオンラインで勉強をして、ひたすら発信し続けました。
地道な作業でしたが、時間からも場所からもお金からも自由になっている自分の未来を想像するとワクワクして自然と顔がにやけてきました。
2016年11月末、雪がしんしんと降り積もる日、私は初めての子供を出産しました。
待ちに待った我が子との対面。

MrsGrandUniverse

2019年大会、ミセスアジア日本代表

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